近江牛
近江牛
登録番号 | 56 |
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名称 | 近江牛(オウミウシ、オウミギュウ),OMI BEEF |
分類 | 食肉 |
登録日 | 2017/12/15 |
生産地 | 滋賀県 |
登録生産者団体 | 一般社団法人 滋賀県畜産振興協会 滋賀県近江八幡市鷹飼町北四丁目12-2 |
ブランドサイト | |
登録公示 |
農林水産物等の生産地
「近江牛」は日本で最も古い銘柄牛のひとつであり、その生産の歴史は約400年に及びます。
日本の牛肉食文化への貢献や肥育技術の高さから、日本三大和牛とも称されています。
「近江牛」の肉質は、芳醇な香りと、口のなかでの脂が溶けやすいことが特徴です。こうした特性の背景には、他産地の黒毛和種と比べて「近江牛」がより豊富なオレイン酸(1)を含むことが挙げられます。
「近江牛」の生産には黒毛和種が用いられます。
飼養期間のうち、滋賀県で過ごした期間が最も長く、かつ滋賀県が最終の飼養地となっている場合にのみ、その黒毛和種は「近江牛」と名乗ることができます。
生産者たちは、「近江牛飼養管理マニュアル」に則り、ストレスをかけないように牛を飼育します。また、肥育の中期以降には、飼料として稲わらを中心に与えます。
江戸時代(2)において、近江は、西国大名から江戸を守るための要所でした。近江を統治する彦根藩(3)は、数多くの武士を抱えており、その武具を作るために多くの牛皮が必要でした。さらに、江戸時代は牛肉食が禁止されていましたが、彦根藩は、徳川将軍家へ薬用の肉を献上するため、例外的に牛肉の生産が許されていました。このことから近江では牛の肥育が意識的に行われていたのです。
近江は日本最大の湖である琵琶湖を有しており、豊かな水に恵まれていました。古くから稲作が盛んに行われており、豊富な稲わらを飼料として牛に給与してきたことが、今日における、オレイン酸の多い芳醇な牛肉の生産の背景になっています。
滋賀県では、大正・昭和初期の時代から牛の肥育の振興が行われ、日本における牛の肥育技術の基礎を形成するのに貢献してきました。
1951年には、日本初となるブランド牛肉振興団体「近江肉牛協会」が設立されており、滋賀県は、日本における和牛生産の先駆的な地域の1つといえます。
- オレイン酸:不飽和脂肪酸の一種。不飽和脂肪酸のなかでは、比較的酸化されにくい。融点が16.3℃と低く、溶けやすい。また肉の風味に影響を与えると言われています。
- 江戸時代:1603年~1867年。日本の時代区分の一つで、江戸(現在の東京)に幕府が置かれていた時代を指します。徳川家康を初代将軍とし以後徳川将軍家を中心とした藩政政治が行われました。
- 彦根藩:近江は、現在の滋賀県にあたります。江戸幕府が成立する直前まで徳川家と敵対していた封建領主(大名)は、遠隔地(九州・中国地方)に配置されており、井伊家が彦根藩の当主としてその押さえにあたりました。