紀州金山寺味噌
紀州金山寺味噌
登録番号 | 39 |
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名称 | 紀州金山寺味噌(キシュウキンザンジミソ) |
分類 | 加工食品 |
登録日 | 2017/08/10 |
生産地 | 和歌山県 |
登録生産者団体 | 紀州味噌工業協同組合 和歌山県和歌山市十二番丁75番地 |
ブランドサイト | |
登録公示 |
農林水産物等の生産地
「紀州金山寺味噌」は、一般的な味噌のように調味料として使用する食材ではなく、主としてそのまま食べる食材です。和歌山県では、昔ながらの製法を守り生産が続けられています。
「紀州金山寺味噌」は、麹(1)と野菜を一緒に仕込み、発酵・熟成し製造されます。製品は具材の混ざり具合に応じて様々な食感や食味が得られます。また、麹の粒が残った状態でも柔らかな食感を楽しめることも特徴です。
日本国内に流通する一般的な「金山寺味噌」は、麹の原料として大豆や小麦を使用し、具材として瓜、茄子、生姜を用いて製造します。一方、「紀州金山寺味噌」は、麹を原料として、大豆、裸麦、米の3種類の全てを使用し、具材として瓜、茄子、生姜、紫蘇の全てを用いて製造するといった違いがあります。
生産方法は、まず、洗浄、浸漬をした米、裸麦、大豆を蒸し、冷却後に種麹をまぶして麹を作ります。次に、麹と具材と食塩および砂糖を混合し、仕込みを行い、発酵、熟成させます。
「紀州金山寺味噌」の出荷規格は、粒が残った状態であり、全体的に卵色から褐色の茶系色を有するものであること、また、10年以上金山寺味噌の生産に従事した者が、出荷前に、香り、味、食感等について官能検査を行うこととしています。
「紀州金山寺味噌」の起源は鎌倉時代(2)、宋での修行から帰国した僧(覚心)(3)により、現在の和歌山県湯浅地方、御坊地方などに製法が伝えられたとされています。地域に伝えられた「紀州金山寺味噌」は、民衆の保存食として広まり、その後、紀州地域(4)を領した領主等の産業奨励政策によって紀州の他地域にも広まっていきました。
現在の製法に近似する工業的な製法は、1615年に完成されたとされ、当時、幕府が開かれていた江戸(現在の東京)(5)でも、紀州名物として販売されていました。
以来、和歌山市、湯浅町、御坊市を中心とする和歌山県内でその製法による生産が継続されており、「紀州金山寺味噌」の名称で販売されています。
1951年には、和歌山県内の味噌生産者らにより、紀州味噌工業協同組合が設立され、「紀州金山寺味噌」の名称を使用するための規定を策定しブランドの保護が図られています。
- 麹:米、麦、大豆などの穀物に、食品発酵に有効なコウジカビを中心にした微生物を繁殖させたものです。コウジカビが産生した各種分解酵素の作用を利用して、日本酒、味噌、漬物、醤油、など多くの発酵食品が製造されています。
- 鎌倉時代:1185年~1333年。日本の時代区分の一つで、鎌倉に幕府が置かれていた時代を指します。鎌倉時代から江戸時代(1867年)まで、日本では武家政権による統治(封建政治)が行われました。
- 宋での修行から帰国した僧:日本では、7世紀以降、仏教、先進的な文化や技術を学ぶため、多くの僧が大陸(当時の「隋」や「唐」など)に派遣されました。
- 紀州地域:1873年以前、日本では地域の基本的な単位を国と呼称していました。紀州(の国)は現在の和歌山県の当時の呼称です。
- 江戸(江戸時代):1603年~1867年。日本の時代区分の一つで、江戸(現在の東京)に幕府が置かれていた時代を指します。徳川家康を初代将軍とし以後徳川将軍家を中心とした藩政政治が行われました。
購入先情報
紀州金山寺味噌は、百貨店、スーパー、キオスク等で販売されています。
組合員(製造業者)の名称や連絡先は「紀州味噌工業協同組合 組合員一覧」から詳細ページをご覧ください。
ネット通販を行っている組合員もいます。