伊達のあんぽ柿

登録番号 123
名称 伊達のあんぽ柿(ダテノアンポガキ)
分類 加工食品
登録日 2023/01/31
生産地 福島県 , 宮城県
福島県伊達市、国見町、桑折町、福島市の立子山・飯坂・宮代・岡部・大笹生・大波、川俣町の飯坂、宮城県白石市の越河・大平
連絡先

伊達地方あんぽ柿連絡協議会

福島県伊達市保原町字7丁目33-3

農林水産物等の生産地

「伊達のあんぽ柿」は、色艶の良い鮮やかなオレンジ色の果肉で、触感は全体的に柔らかく、半生でジューシーかつトロリとした口当たりの良い食感が特徴の干柿(1)です。甘みがほんわりと口の中で長く続き、上品な甘みとして感じられます。そして、他の干柿の7~15倍のビタミンCを含んでいます。暖簾のように柿を干すオレンジ色のカーテンを連想させる風景は「柿ばせ」と呼ばれ、生産地における冬の風物詩となっています。

「伊達のあんぽ柿」の原料柿の品種は、伊達地方あんぽ柿連絡協議会(以下「協議会」という。)が指定した品種の「蜂屋柿」又は「平核無柿」です。協議会が定めた「栽培指針」に基づき原料柿の生産し、収穫後、追熟を行います。
 干柿の加工は、協議会が定めた「農業生産工程管理(GAP)実践マニュアル」に基づき、硫黄燻蒸及び乾燥管理の基準を順守します。そして協議会が定めた「等級」及び「出荷規格」により選別等を行った後に出荷されます。

生産地は、阿武隈山地(2)と奥羽山脈(3)に囲まれた福島盆地に位置し、昼夜の寒暖差が大きく降水量が少ないことから原料柿の生産と干柿製造の適地となっています。
 生産地では、江戸時代(4)に柿の栽培が始まり、その柿の実を原料として皮むきし縄に下げ、天日で干した干柿が作られてきました。明治時代(5)以降にこの天干柿(甘干柿)(発音:あまぼしがき)を地域の方言から「あんぽ柿」と呼ぶようになりました。
 大正時代(6)には、村民が中心となって「あんぽ柿」の改良・研究に取り組み、柿の色味を保つために、当時米国で干しぶどうの乾燥に使用されていた「硫黄燻蒸」を導入し、技術を確立させました。この技術がのちに全国へ普及したことから、生産地のうち、福島県伊達郡梁川町五十沢地区は「あんぽ柿」の発祥地で、かつ干柿における「硫黄燻蒸技術」の発祥の地として認知されています。
 生産地の2010年度の「あんぽ柿」の生産量は少なくとも1,207tと干柿としては全国の15%超(福島県の39%超)を占めており、「あんぽ柿」の生産量で圧倒的に日本一、また、干柿全体の生産量においても全国有数のシェアを誇っていました。
 2011年3月11日に発生した東日本大震災により、2年間の生産・加工及び出荷自粛を余儀なくされましたが、安全な原料柿の確保やGAPの導入に取り組み、2015年12月から出荷を再開しています。

  1. 干柿:皮をむいた渋柿をひもで結び、風通しの良いところに吊るして乾燥させることで作られます。日本では、少なくとも平安時代の中期に、祭礼用の菓子として干柿が作られていたと言われています。
  2. 阿武隈山地:宮城県南部から茨城県北部にかけて南北170km以上に標高 800m 級の山が連なる山地です。最高峰は大滝根山 (1192)、阿武隈川・久慈川・太平洋に囲まれた紡錘形をした比較的なだらかな山地です。
  3. 奥羽山脈:日本の東北地方の中央部を縦断する日本最長(およそ500km)の山脈です。青森県から、岩手県、秋田県、宮城県、山形県、福島県、栃木県に至ります。
  4. 江戸時代:1603年~1867年。日本の時代区分の一つで、江戸(現在の東京)に幕府が置かれていた時代を指します。徳川家康を初代将軍とし以後徳川将軍家を中心とした藩政政治が行われました。
  5. 明治時代:1868年~1912年。日本の時代区分の一つ。日本が幕府による封建制から近代化に移行した時代です。
  6. 大正時代:1912年~1926年。日本の時代区分の一つで時代区分では最も短い。明治時代に続き近代化が進められるとともに、護憲運動や政党内閣が発足するなど民主主義が提唱されました。

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