女山大根
登録番号 | 121 |
---|---|
名称 | 女山大根(オンナヤマダイコン) |
分類 | 野菜 / 穀物類 |
登録日 | 2022/06/29 |
生産地 |
佐賀県
多久市西多久町 |
登録生産者団体 | 幡船の里運営協議会 佐賀県多久市西多久町大字板屋6157-4 |
登録公示 |
農林水産物等の生産地
「女山大根」は、アントシアニンを含む美しい赤紫色をした赤首大根(1)です。成長すると4~5kg、大きいものは10kgを超える大きさになりますが、肉質は緻密で「す」が入りにくい特徴があります。一般の青首大根に比べ糖度が高く、特徴的な色と煮崩れのしにくさから、煮物のほか汁物や和え物など、料理の具材として珍重されています。
「女山大根」は、生産地内で採取・保管された「女山大根」の種子を用い生産地内で栽培されます。なお、自然交配によって形質が安定しなくなった場合は、佐賀県農業試験研究センターに保管している原種を用いて種子更新を行うこととしています。
出荷規格は、1)収穫時、葉付きの状態で重さが2kg以上あるもの、2)根の概ね半分以上が赤紫色を呈しているもの、3)根形は長円筒形であるもの、4)腐敗や空洞がないもの、5)果肉に達する傷や折れがないものとしています。また、1)~4)の要件を満たし、果肉に達する傷の部分や折れた断面を取り除いたものは、加工用として出荷することが可能としています。
生産地は八幡岳、女山(船山)、徳連岳に囲まれた盆地に位置します。周辺には牛津川の源流が流れ、給水が容易で玄武岩が堆積した土壌により水はけが良く、過湿を嫌う大根の生育に適した地域となっています。
江戸時代(2)から栽培されていた「女山大根」は、佐賀藩(3)主鍋島家への献上品として扱われ、西多久町の女山一帯で栽培されていたことが「女山大根」の名前の由来となっています。
近代になると、「女山大根」の大きすぎる特徴が市場の規格に合わないことから、自家用としてわずかに栽培されるのみとなり、消滅しかけた歴史があります。
1980年代後半から地域が一体となり産地復興に取り組み10年近くかけて交配、選抜を繰り返した結果、本来の姿・形を復活させることに成功しました。
産地の復興当時は2~3名の生産者による1tにも満たない生産でしたが、2020年現在は約30名の生産者が約10tを生産するようになりました。
2007年からは、消費者との交流を目的とした「女山大根」まつりを開催、品評会も復活し、さらなる品質の向上に努めることで、地域外の消費者にも徐々にその人気が広がっています。
- 赤首大根:地表から出た根の上部が薄い赤紫色の大根です。国内に多く流通している青首大根と比べると、甘味が感じられるといった特徴があります。
- 江戸時代:1603年~1867年。日本の時代区分の一つで、江戸(現在の東京)に幕府が置かれていた時代を指します。徳川家康を初代将軍とし以後徳川将軍家を中心とした藩政政治が行われました。
- 佐賀藩:肥前国佐賀郡(現在の佐賀県の一部)に位置する江戸時代の支配機構である幕藩体制と言われる行政区分の一つ。江戸時代に地域(領地)を与えられた領主(藩主)が治めていました。